
日本における民族地理学の第一人者であり、ネパール、ヒマラヤ地域の先駆的な調査研究成果と、独自の文明論で知られる。
学術的な調査研究およびネパールやヒマラヤ地域の山村の活性化・環境保全に資する技術協力の過程で、「渾沌をして語らしめる」という〈野外科学〉の方法論を確立し、その普遍的な実践のための「KJ法」を体系化した。
1920 | 三重県津市に生まれる。 |
1941 | 第三高等学校理科卒。マリアナ群島・カロリン諸島の学術調査。 |
1942 | 中国東北部・大興安嶺縦断。 |
1943 | 京都大学文学部史学科地理学教室卒業。 |
1950 | 大阪市立大学文学部助教授に就任。 |
1953 | 日本マナスル登山隊科学班員としてネパール初訪問。KJ法の原型ができる。 |
1958 | 西北ネパール学術探検隊長。 |
1960 | 東京工業大学助教授に就任。 |
1961 | 東京工業大学教授となる。 |
1964 | 日本ネパール協会設立・専務理事に就任。後に会長となる。 |
1967 | KJ法研修体系が完成し、本格的な普及が始まる。『発想法』(中央公論社・中公新書)刊行。 |
1969 | 東京工業大学教授を辞任。「第1回移動大学・黒姫移動大学」を開催。以後、「野外科学」の理念に基づくKJ法の実践を柱とし、全国各地で「移動大学」を開催。 |
1970 | 『続・発想法』(中央公論社・中公新書)刊行。 |
1972 | 株式会社川喜田研究所を設立。 |
1974 | 「ヒマラヤ技術協力会」を設立。代表理事に就任。 |
1978 | 筑波大学歴史人類学系教授に就任。秩父宮記念学術賞受賞。 |
1980 | ネパール国のグルカ・ダクシン・バフ三等勲章受章。 |
1984 | フィリピンのマグサイサイ賞受賞。 |
1985 | 中部大学国際関係学部教授に就任。 |
1986 | 『KJ法-渾沌をして語らしめる』(中央公論新社)刊行。 |
1987 | ネパール国のビキャット・トリシャクティ・パッタ三等勲章受章。 |
1991 | 東京工業大学名誉教授となる。目黒区碑文谷に川喜田研究所移転。川喜田二郎、川喜田研究所理事長に就任。(所長には妻の川喜田喜美子が就任) |
1993 | 福岡アジア文化賞受賞。 |
1994 | 勲三等瑞宝章受章。 |
1995-1998 | 「川喜田二郎著作集」(中央公論新社)刊行。 |
2009 | 7月8日逝去。 |